[レビュー][講演会]「翻訳せずにはいられない ―小説訳して30年」

名古屋外国語大学で、翻訳家の柴田元幸さんの講演会があることを知り、翻訳に関わったことがある身として気になるので参加してきた。

6月14日 講演会「翻訳せずにはいられない ―小説訳して30年」を開催します | 大学案内 | 名古屋外国語大学 The World with Us! 世界はわたしたちとともに
http://www.nufs.ac.jp/outline/30th-anniversary/event/180614/index.html

特に申し込みは必須ではないが、人数把握のためできるだけ申し込んでくださいと書かれていたので、私は一応ウェブで申し込んでおいた。

名古屋外国語大学はアクセスしづらい場所であり、最初はそのせいで申し込みをためらっていたぐらいだ。地下鉄鶴舞線・赤池駅から大学専用バスが出ているのでそれに乗って行った。バスは基本的に学生専用のようだが、「講演会に参加する」と言うことで行きも帰りも一般人である私も乗ることができた。キャンパスまでは約 15 分だ。

初めて行く大学だけどキャンパスマップがなかなか見つからず、7号館を探してウロウロした。やっと見つけたキャンパスマップで7号館に行けた。7号館に着いてからも 701 教室の場所が分からず3階まで探したところ、地下1階にあると気付いた・・・。一般客も参加できる講演会なんだから、こういう時ぐらい分かりやすい立て看板を立てておいてほしいよ・・・。

大学はキャンパスも教室も綺麗でその点は気に入った。

講演会は2部に分かれており、第1部が柴田さんによる講演と、野谷文昭先生との対談、第2部がその対談の続きだった。最初は 701 教室という大教室で行われ、後半は 722 教室というやや小さめの教室へ移動した。前半は通常授業の一環として参加する学生もいるようで、大教室が満員に近かった。後半は小教室で、それも結構いっぱいだった。第1部、第2部ともに 90 分ずつで、合計3時間だった。ちなみにクーラーが効いていて寒かった(行き帰りのバスも)。

一般参加者も受け付けている講演会なので(なので私も参加できた)、学生じゃないっぽい人もちょくちょくいた。

第1部最初の柴田さんの講演は、短い小説の翻訳実演だった。テンポよく翻訳が進み、その間も役立つ知識を教えてもらえて、なかなか勉強になった。柴田さんの著書はこれまで読んだことがあったが(翻訳書ではなく、翻訳解説書のほう)、お話を聞くのは初めてだった。

第1部の最後および第2部の対談はスペイン語圏文学の翻訳をされている野谷先生とが相手。翻訳者同士の実務あるあるというよりも、どちらも大学の先生なのでアカデミックな話が中心だった。そう、ちまたの翻訳者の書く本や翻訳講演会というのは、翻訳実務の話が中心。ほとんどが学問的な議論が抜け落ちている。翻訳の、より根本的で普遍的な話が聞けたのはよかった。

それとシャーロック・ホームズの出版社ごとの翻訳の違いの話が出てきたことも面白かった。

そんな高密度の話を聴けているというのに、特に第1部では後ろのほうの学生がおしゃべりをしていた。大教室だから、結構な騒音だ。ヤレヤレ。

そして、私も質問を思いついたので、第2部で質問をしてみた! 講演と対談は満足していたんだけど、「一人称をどう訳すか」とか「女性語はどうするか」、「直訳か自然な訳か」、といった話は語られ尽くされているというか、いつも「翻訳まわりの話」で出てくる、昔から。なんだか同じところをグルグル回っている気がしてしてならない。翻訳ツールが良くなったり、AI との併用で翻訳の世界は少しは変わると思うけれど、今後の翻訳に関してブレークスルーのようなものはあるか、というようなことを聞いた。

それは、翻訳の歴史を俯瞰して見ることでアカデミズム側から翻訳の世界に働きかけることができるかもしれないと答えてもらった。また、グルグル回っているようでも、場と条件の組み合わせ次第で新しい意味を生み出せるとも教えてもらえた。私の質問がうまくできたわけではなかったし、内容自体も曖昧だったので、「ズバリ」な答えは得ることはできなかったが、いかにも学者らしい(すなわち、一般の翻訳者からは出てこないような)返答をしてもらえてよかった。

一つ言いたいのが、「どう訳すか」という問いへの答えが「場合による」となってしまうことへの違和感だ。それを言ったらおしまいなんだよ。翻訳が「場合による」のは百も承知だ。「場合による」という、ありきたりで退屈で平凡な着地になりがちな議論を越えた議論をしてほしい。質問者もそういうことを聞いちゃいけないと思う。

***

私は中学生の頃から英語が好きだったので、大学入学後は理系から転学部をして英文学科で言語学を学び、大学院でも翻訳学を学んだ。ただ、大学院では専門の先生に付いたわけではなく、自分で勉強しただけだから、あまり体系的に勉強したわけではなかったけど(一応形だけの翻訳論の修士論文は書いた)。

東京の大学院に行ったわけは、実は東京にある翻訳学校で字幕翻訳の勉強をしたかったからだ。そこで翻訳実務を学び、翻訳学校修了後も仕事をちょくちょくもらえていた。というのも、女性が中心の翻訳業界では私のようにコンピューターに多少詳しい人は、優先的にそれ関係の仕事をもらえるんだよ。翻訳論を大学院で勉強していたというのも強みだった。

一応サラリーマンになったけれど、サラリーマンを辞めたときには、「今後は翻訳者としてやっていこう」という意気込みだった(実はサラリーマンの副業としても少しやっていた)。

だけど今は翻訳とは距離を置いている。仕事もよほど魅力的でない限りは断っている。というのも、翻訳業界の「やりがいの搾取」的な構造に気付いてしまったからだ。(私を含め)翻訳をやりたいという人はたくさんいる。それを利用し、翻訳者予備軍および新人を使い捨てようとする会社がある。翻訳の仕事をする上で、そういうのに巻き込まれてしまうことに気付いて嫌になったのだ。

ただこれは業界体質の問題であって、翻訳自体の魅力は失せない。最近自分主催の読書会で翻訳をする機会があったけど、自分が好きなことで翻訳をするのはとても楽しかった。それと同じような形で、うまくビジネスに変える仕組みを考えるのも悪くはないと思うけれど、私は翻訳を仕事にする意欲はもうなくなった。

とはいっても、翻訳はかつて深く関わった分野なので、これからも横目でチラチラ見る存在であり続けるだろう。次回の私が主催する読書会にも、翻訳者にゲストで来ていただけることになったし。今回と同じ質問をしてみようかな。

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