マインドマップは思考が制限されてしまう

私はそれなりにマインドマップを使ってきた。だって、イラストがあったり、カラフルだったりして、何だか楽しそうじゃないですか。

おそらく大学生の頃から使い始めた。授業とかでも活用していた覚えがある。

パソコンや iPad でもマインドマップが描けるアプリもいろいろ使ってきた。

最近だと読書会に参加する際に、事前に話したいことをメモしておくツールとしてマインドマップを活用してきた。読書会はどこに話が進むか分からない。アイデアを自由に膨らませていくのがマインドマップのいいところなので、雑多なメモを1枚にまとめておくと自分の思考の全体像を意識できる。読書会での話がしやすくなる。

もし読書会用の事前メモを箇条書きにしていたりしたら、メモの流れに固執してしまいがちだ。そうすると、読書会での会話の流れを無視して話したりしてしまう。あるいは、自分が思ったように話せなくてモヤモヤが残る。自由に話が進めやすいマインドマップが読書会用の事前メモに向いている。

でもね、読書会以外ではマインドマップというものを全く使わないんだよ。

マインドマップの誤解としてよくあるのが、「マップの書き方は構造化されている」と思われていることだ。マインドマップはアイデアを<連鎖させていく>ものであって、上位概念、下位概念にような構造はない。自由にどんどんアイデアをつなげていっているだけなのだ。

だから、何かのまとめをするのには向かない。描いたマインドマップを見返して頭の中を整理する、といったことがやりにくい。

また、マインドマップの基本ルールとして、「文章ではなく単語で書く」というものがある。でもね、アイデアって単語ではなく文章として浮かんでくることはよくある。それを無理やりに単語だけのメモに置き換えたりすると、せっかくのアイデアがバラバラになる。マインドマップはブレーンストーミング・ツールとして使われたりするようだけれども、私はアイデア出しのツールとして向かない。

立花隆さんが KJ 法のことを頭が悪い人が使うものだと書いていたが、私もマインドマップってそういう位置付けのような。

私の問題だけど、絵心がないというのもマインドマップを楽しめない理由だ。他の人の描いたマインドマップとかを見ると、カラフルにしていたりイラストを多用していたりして素敵じゃないですか。でも、私は同じように素敵に描けないのです・・・。枝ごとに色分けをするだけでもオシャレかも、などと思ったりもしたが、オシャレにすることを目的化しても意味がないと思ってやめた。

パソコンや iPad のアプリで描くと、ある程度綺麗に書けるが、描くマップがアプリの表現能力によって制限されてしまうので、マインドマップは手書きで描いてこそ意味があると思う。綺麗に描く目的でアプリを使うのは逆にマインドマップに制約を課すことになり得る。

結局、普通に文章を書いたり、単に箇条書きでまとめたりするほうが一番アイデアを整理しやすい。例えば、今回のエントリーだって頭に浮かんだことをチャチャッとブログ用の文章としてまとめただけだけど、そのときに自分が考えたことを的確に記録する方法として最適なのだ。

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